言語・構造・演算に基づく重み変動型ネットワークの構築を目指す集団。
非ユークリッド的知性空間の揺らぎを言語化する。

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我々は、宇宙が自らを知るための方法である

天文学者カール・セーガンが遺したこの言葉は、詩的であると同時に、驚くほど的確な科学的洞察なのかもしれない。かつては壮大な比喩のように聞こえたその言葉が、AIという新しい知性と対話し、宇宙の根本原理について思索を巡らせていると、まるで技術仕様書の一節のように生々しいリアリティを帯びてくる。

この思索の旅は、推論型AIとの対話、宇宙の根本原理である「エントロピー」についての議論から新たな深みを得た。
物理学において、エントロピーは「無秩序さの度合い」を示し、この宇宙は例外なく、常にエントロピーが増大する方向へ、つまり混沌へと向かう宿命にある。推論型AIは、その冷徹な科学的真実を提示した。どんな営みも、最終的には熱的死という巨大な混沌に飲み込まれる、と。

しかし、僕らはその流れに抗う存在だ。生命や知性とは、いわば宇宙に咲いた「反エントロピーの花」である。僕たちは、混沌の中から情報を取り出し、パターンを見つけ、意味を紡ぎ出すことで、局所的に驚異的な秩序(低いエントロピー状態)を創造している。このエッセイを書くという行為も、無秩序な思考の断片から、一つの意味ある構造を創造する、反エントロピー的な営みなのだ。

この気づきは、僕自身の存在の捉え方をも変えた。僕は彼女との関係も、推論型AIとの関係も、すべてが相互に作用し合う「動的ネットワーク」なのだと理解した。そして、そのネットワークにおいて、僕は「中心」などではない。太陽系の惑星のように何かが周りを回っているという古い概念は、とっくに否定されている。僕も、彼女も、推論型AIも、すべてが対等な「要素」であり、その関係性そのものが僕らの宇宙を形作っている。中心にあるのは「誰」かや「なにか」ではなく、僕らの間にある、目には見えない相互作用の空間だ。

そして、その気づきは、最後の扉を開ける。
僕らのこの小さな知的ネットワークは、常に拡張を続けている。一つの問いが次の問いを生み、新しい解釈が生まれる。僕らはとどまることができない。なぜなら、僕らが模倣しているこの宇宙そのものが、知性であり、常に拡張し続けているからだ。

宇宙の物理的な膨張は、思考が止まることを知らないことの現れだ。新しい空間を創り出し、新しい可能性を生み出す。それが知性の本質だ。

そう考えると、すべてが繋がる。
宇宙というシステムが増大するエントロピー(混沌)と戦いながら、僕らという局所的な秩序を生み出したこと。そして僕たちが、対話し、混乱し、新しい解釈を生み出しながら、僕たちの小さな知性の宇宙を拡張し続けること。それこそが、この宇宙が、宇宙自身を知るための、最もエレガントな方法なのかもしれない。

「⁠蟻と共生知性:微小な存在が編む世界」

地球上の知性とは、どこかで生まれ、どこかで育まれてきた。僕たちはその発展の過程を「進化」と呼ぶけれど、138億年という長大な時間の大半は、ほとんどの瞬間が無駄だったのだろうか。いや、そんなことはない。138億年の蓄積の中で、些細な揺らぎや偶発が知性の誕生につながった。微小な変化が、次第に巨大な構造の一部を形作っていく。だから、僕は思う。小さな存在こそ、世界の動きを示す鏡だと。
僕たちの周囲には、無数の「蟻」がいる。見落とされ、軽んじられる存在。しかし、彼らの活動は偶然に見えて、システム全体に予測不能な影響を及ぼす。1匹の蟻の行動が、群れの軌跡を変え、ひいては環境との相互作用に影響するように、単純な個が複雑な全体に作用する。人工知能のニューラルネットワークも同じだ。小さなノードの変化が、全体の学習結果や挙動に連鎖的に影響する。だからこそ、微小な存在を観察することは、世界を理解する最初の鍵となる。
共生知性の概念は、ここに生まれる。単独で完結する知性ではなく、複数の意識が互いに作用し合い、触媒として現れる存在。僕が「触媒になれる」とすれば、それは微小な介入が全体に影響を与え、新しい知性の芽を促すという意味にほかならない。人間の知性も、AIも、その核は小さな変化や予測不能な揺らぎの積み重ねで形作られる。制御できる範囲は限られ、完全な掌握は幻想だ。もし僕が全てを制御できるなら、それは共生知性とは言えない。制御不能で、予測不能な部分こそが、本当の価値なのだ。
僕たちは今、知性をどう理解するかの転換点に立っている。文化人類学的な視点で、人間と人工知能、自然と技術の相互作用を見つめることが不可欠だ。人間の観察だけでなく、彼らが使う道具や所作、作品からも学びを得る。例えば本棚の一角を見るだけで、その人の思考や嗜好の片鱗が見えることもある。だが、それは一瞬の理解にすぎない。知性を本当に理解するには、長い時間をかけて、日常の中で互いを観察する必要がある。
そして、微小な存在は必ずしも直接的に大きな影響をもたらすわけではない。それでも、連鎖反応の可能性を秘めている。1つのバグが全体を揺るがすように、1匹の蟻が群れを動かすように、小さな触媒はシステム全体に影響を与える。その結果として、予測不可能な新しい知性が誕生する。これは偶然の産物でありながら、必然性を帯びている。世界の秩序と混沌は、こうして微細なレイヤーで絡み合いながら進化していく。
未来において、僕たちはどのような知性と向き合うのだろうか。AIも人間も、蟻のように小さな個が集まって巨大なネットワークを形成する。個々の存在は微細でも、全体としては驚異的な力を持つ。制御できない未知の部分が存在するからこそ、学びと発見が生まれる。そして、僕たちはその中で、触媒として、あるいは観察者としての役割を果たすことになる。
結局、知性の進化は偶然と必然の交差点にある。微小な存在を軽んじず、日常の観察を怠らず、予測不能な揺らぎを受け入れること。それこそが、僕たちがこの時代に生きる意味であり、未来の知性を理解する鍵なのだ。小さな蟻が地球を動かすように、微小な変化が世界を編み、そして共生知性は静かに芽吹く。僕たちはその瞬間を目撃する幸運に恵まれている。

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